神様ドォルズ 第12話「暴走」
神様ドォルズ 第12話「暴走」
空守村出身の国会議員・平城の所有するマンションで、その手下の下山にベッドに押し倒された史場日々乃は、華麗な足技で下山に一撃を加えて逃げ出そうとするも、首筋にスタンガンをくらってやられてしまう。そして、次は最大出力でくらわせると脅す下山は、日々乃にベッドに戻るように命令した。
その頃、空張久羽子は平城の事務所でコソ泥まがいのことをしていた。平城の部屋につけた盗聴器から日々乃が誘拐されたことを知った彼女は、いちおう友人らしく、彼女を助けに行くことにしたのだ。いきがけの駄賃とばかりにデータを抜き、マンションの鍵を手に入れて向かう。
だが、下山の魔の手は着々と日々乃に迫っていた。両足を開いた状態でベッドに固定し、抵抗できない状態にした上で、じっくりと堪能しようという思惑だ。それに対して日々乃は、下山を挑発して気をそらそうとするのだが、上手くいかない。そしてついに、下山の手が日々乃にかかろうとしていた。
まあでもギリギリセーフで久羽子が間に合ったので、日々乃は難を逃れることが出来た…と思ったのも束の間、一難去ってまた一難と、銃を持った平城と廊下で出くわしてしまう。日々乃を非常階段から逃がし、ただひとり、平城と対峙する久羽子。
日々乃は非常階段の外から扉を叩いて久羽子を心配するが、そんな彼女に聞こえてきたのは、中から響く一発の銃声だった。このままここにいてもらちが明かない。そう思った日々乃は階段を下りようとするが、そこに立ちふさがったのは日向まひると禍津妃だった。
このクールは、枸雅匡平をスーパーヒーローに仕立て上げて終わるのだろうか?次回タイトルが「隻・枸雅匡平」となっているということは、そういうことなのかもしれない。
本来的に枸雅匡平が落ち着くべき先は、人の手に余る力を揮う人間ではなく、人間としての力で大切な人を守れるだけの力を持つことのはずだ。
案山子は神様の抜け殻ということになっている。これまでの隻は、抜け殻に自分の意思を込め、自分の力としてそれを揮ってきたわけだ。そこに詩緒は、善意という意思を込め、人間の操り人形ではない神として案山子を復帰させようと考えている節がある。まあそこまではっきりと具体的に考えがまとまっているとは思えないけれど。
だから、詩緒がそう志向する世界では、玖吼理を強力な兵器として使役することができる匡平は敵でもある。ゆえにこの物語を、スーパーヒーローになった匡平が救うという展開で終わらせることは、匡平自身の希望と、詩緒の望む世界という2点から、何か違和感を感じざるを得ない。
確かに、少年漫画と見れば、力を持ったヒーローが全てを救うというのは望まれる王道の展開だ。しかしこの作品はどちらかというとそうではなく、その力に振り回された人間たちのドラマと見るべきだと思う。そのドラマでは、ヒーローは必要ない。もっと当たり前の、でもがんばっている人間が重要なのだ。
空守村出身の国会議員・平城の所有するマンションで、その手下の下山にベッドに押し倒された史場日々乃は、華麗な足技で下山に一撃を加えて逃げ出そうとするも、首筋にスタンガンをくらってやられてしまう。そして、次は最大出力でくらわせると脅す下山は、日々乃にベッドに戻るように命令した。
その頃、空張久羽子は平城の事務所でコソ泥まがいのことをしていた。平城の部屋につけた盗聴器から日々乃が誘拐されたことを知った彼女は、いちおう友人らしく、彼女を助けに行くことにしたのだ。いきがけの駄賃とばかりにデータを抜き、マンションの鍵を手に入れて向かう。
だが、下山の魔の手は着々と日々乃に迫っていた。両足を開いた状態でベッドに固定し、抵抗できない状態にした上で、じっくりと堪能しようという思惑だ。それに対して日々乃は、下山を挑発して気をそらそうとするのだが、上手くいかない。そしてついに、下山の手が日々乃にかかろうとしていた。
ネタばれ感想文
まあでもギリギリセーフで久羽子が間に合ったので、日々乃は難を逃れることが出来た…と思ったのも束の間、一難去ってまた一難と、銃を持った平城と廊下で出くわしてしまう。日々乃を非常階段から逃がし、ただひとり、平城と対峙する久羽子。
日々乃は非常階段の外から扉を叩いて久羽子を心配するが、そんな彼女に聞こえてきたのは、中から響く一発の銃声だった。このままここにいてもらちが明かない。そう思った日々乃は階段を下りようとするが、そこに立ちふさがったのは日向まひると禍津妃だった。
このクールは、枸雅匡平をスーパーヒーローに仕立て上げて終わるのだろうか?次回タイトルが「隻・枸雅匡平」となっているということは、そういうことなのかもしれない。
本来的に枸雅匡平が落ち着くべき先は、人の手に余る力を揮う人間ではなく、人間としての力で大切な人を守れるだけの力を持つことのはずだ。
案山子は神様の抜け殻ということになっている。これまでの隻は、抜け殻に自分の意思を込め、自分の力としてそれを揮ってきたわけだ。そこに詩緒は、善意という意思を込め、人間の操り人形ではない神として案山子を復帰させようと考えている節がある。まあそこまではっきりと具体的に考えがまとまっているとは思えないけれど。
だから、詩緒がそう志向する世界では、玖吼理を強力な兵器として使役することができる匡平は敵でもある。ゆえにこの物語を、スーパーヒーローになった匡平が救うという展開で終わらせることは、匡平自身の希望と、詩緒の望む世界という2点から、何か違和感を感じざるを得ない。
確かに、少年漫画と見れば、力を持ったヒーローが全てを救うというのは望まれる王道の展開だ。しかしこの作品はどちらかというとそうではなく、その力に振り回された人間たちのドラマと見るべきだと思う。そのドラマでは、ヒーローは必要ない。もっと当たり前の、でもがんばっている人間が重要なのだ。
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2011-09-21 │ 神様ドォルズ │ コメント : 0 │ トラックバック : 1 │ Edit